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こんにちは。
めんま(@menma_money)です。
就職して7年ちょっと。
時にはボーナスで繰り上げ返済をして、滞納せずにコツコツと返済してきました。
奨学金の返済記念として私が大学時代どのように奨学金を活用していたかについて書いていきます。
完全に自己満足な記事なのでひまな方だけ読んでもらえればと思います。
私は大学生の頃、成功哲学の本にはまっていました。
7つの習慣とかです。
目標を持って行動する!みたいな本をたくさん読んでいて、大学生の私は「思い立ったら即行動」「経験は自己投資」という考えで行動していました。
出身は関東なのに「お笑いが好き」という理由だけで関西の大学に行きました。
奨学金を借りた理由は「このお金を使ってどんどん成長したい!!」という若気の至りでした。バイトもしないで奨学金を使ってやりたいことをやっていました。
今回はこの借りた240万円の内訳を大学一回生〜大学五回生(笑)別に大まかにまとめてみたいと思います。
ちなみに関西では一年生…ではなく一回生と呼ぶんですよね〜。なんで?
目次
奨学金240万円の大まかな内訳
《一回生》
・スキューバダイビングの費用
《二回生》
・屋久島旅行の費用
・イギリス留学の費用
・フィリピン留学の費用
・東南アジアバックパックの費用
《三回生》
・スリランカボランティアの費用
《四回生》
・就活費用
・就活失敗
・北海道旅行の費用
・アフリカボランティアの費用
《五回生》
・ロシアボランティアの費用
・カンボジア、ベトナムスタディーツアーの費用
・東欧のバックパックの費用
この他に沖縄の離島や九州などを一人旅したり、ヒッチハイクしたりとやりたいことをやっていました。
今思えば奨学金を使っていい経験がたくさんできたなと思っています。
それぞれの費用について大学一回生からみていきたいと思います。
大学一回生
スキューバダイビングの費用
大学に入学して、関西という新しい土地にきた私は友達を作るべくたくさんのサークルの新歓コンパに参加しました。
関西の人はノリがよくて、すぐに溶け込めました。
たくさんのサークルを回り、その中でもインカレのスキューバダイビングサークルに参加しました。
スキューバダイビングのライセンスをとるために和歌山の白浜へ行きました。
ここは海がとてもきれいなので関西方面でスキューバダイビングのライセンスを考えている人はオススメです。
ライセンスをとると国内・国外どこの海でも潜れることができます。
このサークルは基本的に飲みサーでしたが、「与論島ツアー・オーストラリアツアー・グアムツアー」など国内外のツアーが豊富で、その費用に奨学金を使っていました。
プライベートでも沖縄本島・石垣島・屋久島・八丈島などでウミガメ、マンタ、ハンマーヘッドシャーク、ジンベイザメ、イルカと一緒に泳ぎました。
いつか、カリブ海でマナティと泳ぎたいなと思っています。
サークル自体は男女仲良く楽しかったですが、もう少し自己投資にお金を使っても良かったかなと思います。
この時期に成功哲学の本に出会い、行動することの大切さを学びました。
同じサークルの先輩がバイク事故で亡くなったことをきっかけに「人はいつ死ぬかわからないから今を精一杯生きよう」と思うようになり、さらに思い立ったら即行動するようになりました。
そうしてサークルと勉強に明け暮れた一回生の終わりの時期。
と、危機感を持った私は次の夏休みに以前から行きたかった留学に行くことにしました。
大学二回生
屋久島旅行の費用
留学先はイギリスに決めました。
夏休みになり留学の前にマンタと泳ぐために屋久島に友達と泳ぎに行きました。
屋久島はスキューバダイビングも屋久杉を見るためのトレッキングも充実しており、自然が好きな人にはオススメの島です。
6月にはウミガメの産卵も見ることができますよ。
私は「愛舟」という民宿に泊まりました。
そこのおじさんがとてもいい方で素泊まりなのに夕食になると「今日とれたトビウオ食べな!」と手作りのご飯とみそ汁と野菜を添えて、他の観光客と食卓を囲み一緒にご飯を食べました。
その観光客の中にジンバブエの親指ピアノ「ムビラ」を演奏するグループが来ていました。
ムビラの先生は日本とジンバブエを行ったり来たりしている方で、髪は伸びきっていて肌はどす黒く見た目は完全に放浪者でした。
ムビラの生徒がさらに3人程いて、その中に一人の小さな女の子がいました。
その子がほどよくぶっ飛んでいました。
インドを拠点にバックパックをしている子で「カリブ海の海は七色に光るんだよ!」とか「インドは死体がそこら中にいるよ!」と楽しそうに海外の話を延々と話すのです。
と、まだ20歳ほどの私たちには彼女が何を話しているのか全然理解できませんでした。
しかしその時初めて海外の魅力を知り、近いうちに世界を自分の目で見てみたいなと思うようになりました。
今思うとこの出会いは人生の中でも大きな分岐点だったのかなと思います。
イギリスの留学費用
屋久島の余韻も冷めぬうちに、旅行から戻るとすぐにイギリスへ5週間の短期留学にいきました。
場所はブライトンというイギリスの下の小さな海岸沿いの町です。
選んだ理由はロンドンより日本人が少なそうだからです。
スペイン、イタリア、モロッコ、シリア、ヨルダン、イラン、韓国など様々な国の学生がイギリスに勉強に来ていました。
日本人が全くいなかったので、基本的に韓国人の友達と行動していました。
朝から夕方まで勉強をして夜にはバーに繰り出すという生活をしていました。
本当にみんな優しくて、特にシリアの人の優しさにはすごくびっくりしました。
留学中は屋久島が頭から離れず、バックパッカーの本を持っていき、それを空いた時間に読んでいました。
ちょうどその頃、学部の先輩が東南アジアをバックパックしていたこともあり、次の春休みは東南アジアをバックパックしようと決めました。
フィリピン留学費用と東南アジアバックパック費用
二回生から三回生の間の春休みを使って、フィリピンに留学をしました。
留学後は日本人の買い取った「カオハガン島」というセブ島近くの島を訪れ、その後にネパールとタイに行く計画を立てました。
フィリピン留学は「ボーディングハウス」と言うアパート形式の部屋に講師が来て発音や文法の勉強をするスタイルが主流です。ボーディングハウスは韓国式です。
フィリピンは日本から比較的近く、留学費用も安いということからアパートは日本人と韓国人のみでした。
マニラで留学をしていたのですが、一歩街を出ると銃を持った警備員がそこらに立っていて治安の悪さが際立ちました。
街を歩くとストリートチルドレンがそこら中にいて、金持ちが道路に札束を巻き、その子たちが道路に飛び出して札束を拾うという貧富の格差を目の当たりにしました。
この時に孤児院も訪れ、貧困に対して興味を持つようになりました。
「何もなくて豊かな島」カオハガン島
「何もなくて豊かな島」と言われているカオハガン島。
ここに住む住民は漁などを行いその日暮らしでしたが、きれいな海と自然のもと、とても明るく生きていました。
日本は豊かだけど、何か物足りない。
でもこの島にいるとそんな感情もなくなるほど、人々は優しく、自然がきれいでした。
フィリピンの留学とカオハガン島についてはこちらの記事に詳しく書いてあります
ネパールとタイへ
カオハガン島でのんびりした私はフィリピンを出てネパールへと向かいました。
ここでの目的は「ポカラ」というポカリスエットの語源とも言われている湖が二つあるスポットでのんびりすることが目的でした。
ここも屋久島で出会った女の子が教えてくれた場所です。
ネパールからの記事についてはこちらの記事に詳しく書いてあります👇
大学三回生
スリランカボランティアの費用
フィリピンでのストリートチルドレンを見て以降、途上国の貧困問題が気になっていました。
そんな気持ちでいっぱいだった私は三回生の夏休みに、スリランカを支援しているNPOに問い合わせをしてボランティアに参加しました。
このボランティアは集まった学生同士が自分たちでツアーを作り上げていくというもので、事前に合宿を行いやりたいことを発表して学生主体でツアーを作り上げて行きました。
基本的に「ポロンナルワ」という村で3チームに分かれ、井戸掘りや幼稚園の建設を行いました。
また現地の学生との交流や世界遺産の観光、リゾート地への宿泊をするなどとても充実していました。
若かったこともあり、現地・グループ内共に恋愛があり、三角関係などに発展するなどとまさに「あいのり」状態でした。
スリランカは当時、シンハラ人とタミル人との内戦状態でした。
私はシンハラ人の大家族の家にホームステイをしていました。
家はレンガや土でできており、ご飯も質素なものでした。
しかしシンハラ人は愛情深く、家族はもちろん、得体の知れない私にも笑顔でたくさん親切にしてくれました。
いつかスリランカに恩返しをしたいという気持ちは今も持ち続けています。
スリランカの記事についてはこちらの記事に詳しく書いています
この時点ですでに三回生の秋口。
スリランカから戻ると、すでに就活ムードが漂っていました。
そして、それは突然訪れました・・・
大学四回生
就活費用そして就活失敗
スリランカから日本に戻った9月。
世界的な経済危機、リーマンショックが起こりました。
ちょうど就活生だった私は影響をもろに受けていました。
三回生から四回生にかけての春休みは就職活動に明け暮れました。
私は関西から関東の企業を受けていたので、授業との両立もしつつ、新幹線の費用がかさみました。
しかし、世間は不況真っ直中。
民間企業は採用を絞り、お祈りメールを毎日もらう日々でした。
5月のある日、就職活動をあきらめ、北海道にひとり旅に出ました。
小樽から富良野に行き、旭川を通り札幌に行きました。
ここではゲストハウスとライダースハウスに泊まり、ここでも多くのバックパッカーやライダースの人と出会いました。
たくさんの人たちに就職のアドバイスをもらい元気を取り戻しました。
北海道旅行の記事はまた時間が出来たら書きたいと思います。
アフリカボランティアの費用
北海道から戻った私は大学を一年間休学することにしました。
私の代は休学・院進学・就職せず卒業する人の割合が多かったように思います。
この一年を利用して以前から気になっていたアフリカでのボランティアをしたいと思い、ウガンダでエイズ孤児の支援をしている団体に問い合わせをしました。
一ヶ月ほどウガンダに泊まり込み、ボランティアをしました。
ウガンダでのボランティアを終えた後、途上国支援について疑問が生じます。
もっと長期的な支援ができないか思ったとき、「青年海外協力隊」に参加している社会人の特集が書いてある雑誌をたまたま見つけました。
そう思った私は社会人でも青年海外協力隊に参加できる所に就職活動をして、無事に内定がもらえました。
ただ、青年海外協力隊については内部の事情で現時点でまだ行くことができてません。
青年海外協力隊についてもいずれ記事を書けたらと思っています。
大学五回生
ロシアボランティアの費用
就職活動も落ち着いた大学五回生。
単位もほとんど取り終わった私は時間を持て余していました。
と思った私は「地球の歩き方のボランティア」のページを見ていたら、ロシアとエストニアの日本語を教えるボランティアを見つけました。
初めて聞く国の名前になぜかワクワクしたことを覚えています。
ロシアについても特に印象もなかったのですが、参加をしてみることにしました。
キルギスタンの人の家にホームステイをして、また人の優しさに触れました。
また、ロシアとエストニアの良さを知り、スラブ人の美しさにとりつかれました。
私は学生最後の春休みは他の東欧の国も見てみたいと思い東欧をバックパックをすることに決めました。
ロシアの記事についてはこちらの記事に詳しく書いています👇
カンボジア・ベトナムスタディーツアーの費用と東欧のバックパック費用
学生最後の春休み。
そう考えた私は、東欧へのバックパックの前にもう一つ海外に行こうと決め、カンボジアとベトナムのスタディツアーに参加しました。
カンボジアではポルポト政権の残虐さを学び、ベトナムではアメリカとの戦争で枯葉剤の影響を受けた人たちがまだ苦しんでいることを知り、ベトちゃんドクちゃんのお兄さんとも会ってきました。
この時期に東日本大震災が起き、原発問題が流れるようになり、世界の様々な情勢や問題にも興味を持つようになりました。
カンボジアとベトナムのスタディツアーから帰りすぐに東欧へのバックパックの旅を始めました。
就職する会社の研修がありましたが、そんなものはもちろん参加しませんでした。
バルト三国からポーランドに向かい、ベラルーシを通りロシアへ向かいました。
この旅はロシアで恋愛関係になった子に会うための旅でした。
ロシアの人は優しいです。本当にオススメできる国ですよ!
東欧のひとり旅についてはこちらの記事に詳しく書いてあります👇
まとめ
以上が私が学生時代に奨学金を借りてやってきたことです。
ちなみに、社会人になってからも海外への旅は続きました。
「東欧の旅パート2・インドボランティア・モロッコ一人旅・ウユニ塩湖一人旅・イスラエルとクロアチア一人旅・アメリカをキャンピングカーで周遊の旅・ラオス象使いの旅・ガラパゴス諸島一人旅…」などです。
ガラパゴス諸島一人旅の記事はこちらです
ウユニ塩湖は一生に一度絶対に行くべきです!
ウユニ塩湖の一人旅の記事はこちらです👇
学生の時は時間があるけど、お金がないとよく言います。しかし、バイトをしていたらその時間すらもなくなってしまいます。
若い頃の感受性はその後の人生に大きな影響を与えると私は考えています。
なので将来の自分からお金を借りて、たくさんの経験をすることもいいことだと個人的には思います。
もちろんお金はちゃんと返す前提でですよ!
自己投資のリターンが見合っていたかは…これからわかってくるのかもしれません。
けれど、若いうちに自分の目で世界を見れたことはとてもいい経験だったとおじいさんになっても思うことは間違いないと思います。
ちなみに、私が次に借金するとしたら自己投資ではなく、本当の投資、不動産投資などを行うと思います。
本当の投資も自己投資と同じくらい価値があるものだと思っています。特に若ければ若いほど。
不動産投資の記事に関してはこちらです
改めて記事を書いて思ったのは、学生の頃はたくさん動いていたな〜ということです。
「夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ」
大学生の頃、読んでいた高橋歩さんの言葉です。
大学生の時よりも行動量がへってますが、これからも好奇心と向上心を持ってこれからも日々生活していきたいと思います。
なんの面白みもない記事を最後まで読んでいただきありがとうございました!